住民こそ主人公の町 美里町をつろう  

角田朝枝

  角田朝枝のページ
 2015年5月17日に逝去されました。
4月26日の美里町議会議員一般選挙において5期目の当選を果たしました。町民の皆さんの期待を負いながら、実現することができないまま逝去され、無念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

  お年寄りや子どもたちが安心して暮らせる町にしましょう


角田朝枝

角田朝枝 さん
(つのだ あさえ)
1947年 美里町 生まれ

【連絡先】
住所:〒367-0119 美里町大字駒衣407
電話・FAX:0495-76-1462

【主な略歴】
・本庄東高校卒
・たんぽぽ保育園事務長
・少年少女育てる全国センター常任委員
・少年少女育てる埼玉北部センター常任委員長
・美里町農業委員(議選)
・遺跡の森館運営審議委員
・美里町議会議員(5期)、文教民生経済常任委員、
・国民健康保険運営協議会委員、
・財産処理委員会委員、
・地域開発審議会委員、
・青少年問題協議会委員、




生い立ち

 1947年(昭和22年)美里町駒衣で4人姉妹の長女として生れました。 家は農家で、父母は朝から晩まで働きどおしでした。両親の仕事が終るまで、近くの田んぼや川で遊ぶのが楽しみでした。

 本庄東高等学校を卒業後、洋裁学校を出て本庄市内の洋裁店に勤めていた、18歳のときに母を亡くしました。一時は心の中が空っぽになったようでした。「こんなときに母さんなら・・・・」と母を追い続けました。

 今は、母の亡くなった年を越え自らの成長を求めていろいろなことに挑戦しています。保育園に勤務し、子ども達の無限の可能性に感動しました。

 地域では「子どもたちが主人公」の「少年少女センター」の全国常任委員として、「子どもの権利条約」の最善の利益「子どもにとって一番いいこと」を追求し続け、何時でも子どもの味方でありたいです。

共産党とであって

 日本共産党と出会ったのは20歳のときでした。まだ「共産党はこわい」と思っていましたが、洋裁学校の帰り道に共産党に宣伝カーの弁士は目がきれいな人で心が動きました。

 その後、歌声サークルや民青を知り、日本共産党の人たちとも知り合う中で「そのままの自分でいいんだ」ということに気づいたのです。生まれ育った美里町を「住んで良かったといえる町にするために頑張って」と多くの人に言われ4回目の正直で議員に当選しました。

 いつも多くの人に励まされながら、緑も萌える美里の自然の中を走り回りました。今、町民のみなさんのくらしを見たとき「町民が主人公」の町をつくる議員の責任の重さを感じています。

障害をのりこえ 明るく たくましく 

 小学校に入るころ「足が悪い」とわかり、お医者さんから「もう手遅れです。治りません」といわれ、お父さんとお母さんの目に涙がいっぱい溜まっていたのを今でも忘れません。

 「両足股関節脱臼」と後になって知りました。「そんなにみんなと変わらないよ」という家族や近所の人、多くの友人の暖かい励ましの中で明るくたくましく障害をのりこえてきました。だから障害者やお年より、子どもたちにやさしく、明るく頼もしい女性でありたいです。





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